今週半ばに「血」ではなく「絆」で
繋がる兄弟との会話の中で、
私自身の2029年問題が露呈されました。
ああ、ひとつ断っておきますが
絆で繋がる兄弟
とかいうワードに、怪しげなとか
意味深なものは全くありません。
もちろん血縁も大切なことなんでしょうが、
私にとって大切なことは
価値観の共有
なので、それさえ合っていれば
老若男女・人種や国籍も関係なし。
というわけで、週半ばの彼のみならず
けっして多くはないのですが
私には他にもそのような兄弟がいます。
ええ、
基本的に相手方の同意は得ておりません。
私が勝手にそのように認定しております(笑)
話が逸れました、、
「 なんやねん、お前の2029年問題て 」
ごもっともなご指摘です。
2029年問題、というよりは
正確には2029年には私が
50歳を迎えてしまう問題です。
そうなんです50歳。
人生100年時代とかアホな言葉が昨今
取りざたされるようになりましたが、
100歳を見越して人生設計するのもいいが
先ずは今を生きろよ。
生きているかどうかも分からない
100歳に向けて怯えながら計画するより、
今の自分を楽しませる計画をしろよ。
ともかく
少なくとも私は人生を
100年スパンでは考えておりません。
自分の身体の動きにおいても
頭のキレにおいても、
自身が納得できるレスポンス
分かりやすく言うのなら
「くっ・・」とか
「こんなハズでは・・」とか
これらが増えだしたら
私の中ではもう寿命です。
それくらいのテンションや覚悟で私は、
私の仕事や役割というものを考えています。
そうでなければならない理由は明白。
能力が衰え、判断が鈍った船長が先導する
泥舟なんて誰も乗りたくないでしょう。
「 老兵は去るのみ 」
「 俺の屍を越えてゆけ 」
齢43の現時点から推察するに
ここから年齢を重ね、50歳以降で
己が納得するレスポンスやスピードを
維持し続けられるとは悔しいが思えない。
そのように逆算すると
もう7年しかないやん!
まだまだ、まだまだ
やりたいこと・達成したいこと
それに対する準備もあります。
なのでこのスピード感ではあかんと。
自分の納得するものに
到達する為の時間配分と手段を、
今よりもさらに練ってゆくぞと。
そのように兄弟と誓った夜でした。
Seven years
in my remaining
写真の人物たちは兄弟認定しておりません