皆さんは「 環世界 」という言葉を
聞いたことがありますでしょうか?
環世界
ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが
提唱した生物学の概念。
環境世界とも訳される。
全ての動物はそれぞれに種特有の
知覚世界をもって生きており、
それを主体として行動しているという考え。
ユクスキュルによれば、普遍的な時間や
空間も、動物主体にとってはそれぞれ
独自の時間・空間として知覚されている。
はい。休日に小難しい説明、
誠に申し訳ございません(゚д゚)
ざっくり要約しまくると
人間が見ているこの世界の感じ方(感覚)は
人間だけのもので、犬や猫や昆虫のような
動物だけではなく、果ては植物に至るまで
それぞれにとってこの世界は全く違った
感覚や時間軸で捉えられているんですよ
というお話。
ひとつ例にとってみます。
なんの変哲もない、いたって普通の
リビングを想像しましょう。
お昼時のそのリビングには
テーブルの上に食事が用意されている、
そんなシチュエーションです。
その空間に対して人間・犬・ハエが
それぞれどのように認識を
しているのかというお話です。
・人間
テーブルの上に載ったグラスや
お皿のほか、椅子や、ソファ、照明、
本棚など人間の日常的な暮らしの
ワンシーンらしい風景が描かれている。
私たちにとってはどれも意味がある
ものであり、すべてに色が
付いているように認識する。
・犬
しかしこの部屋に犬が入ってきたとしたら
同じ空間をどう捉えるのだろうか。
椅子やソファは飼い主である人間が
座るもので、その匂いを感じられたり
自身も寝そべったりする場合もあるので
必要なものだ。また、テーブル自体には
興味はないが、上に乗っている食べ物や
飲み物には関心がある。一方で、本棚な
どは犬にとってはまったく意味のない
ものとみなされるし、視力が
良くない犬には照明が付いているか
どうかもあまり関係ない。
・ハエ
さらに、一匹のハエが入ってきた場合
はどうか。ハエにとって関心のあるも
のは食べ物のみである。また、光には
反応するので照明は煌々とついている
と感じるだろう。しかし、テーブルや
椅子、チェアや本棚などはまったく
意味のないものであり、無きに
等しいものと思われる。
このように、生物が環境を主観的に
どのように認識しているかによって
そこにあるものは変わらないのに、まったく
違う世界が存在しているというお話です。
これをもっと身近で分かりやすい例で
見てみましょう。そして何もこれは
人間・犬・ハエ・植物のような全く違った
種族間だけの話ではなく、男女や老若、
国や文化や時代が違えばもう全てが
別世界。この視点で捉えられるようになると
この世界、いや日々の日常がもっと
面白く感じられるはず!
たとえば
車に興味の無い人からすればフェラーリ
なんて赤くて悪目立ちをする、荷物も
乗らない、乗り降りも面倒な金属の塊。
スマホで時間を確認すればいいので、
高級時計は運動や入浴時にいちいち
外さないといけない手首に巻く異物。
キャビアやフォアグラは
何が美味しいのか分からないので、
出てきたらこっそり捨てる。
子どもにとっては美しい野山や歴史的
建造物など、つまらないただの自然と建物。
大人からしたら五月蠅いTVや
ゲームなどただの騒音、公害、時間の無駄。
多神教の我々は
森羅万象に八百万の神を感じる。
一神教では偶像崇拝を禁じるところもあれば
その偶像を心の拠り所にもする。
女性にとっての化粧品・美容関連の品々は
男性からしたらただの液体、ただの粉。
男性にとっての髭剃り・剃刀のこだわり
なんて、女性からすれば
剃れればなんでもいいでしょ?
それから趣味の収集品。
またはアートまで含めて、これこそ
そこに黄金の輝きに近い価値を感じる人。
もしくはそれをただの物体と捉える人。
その価値を感じなければ、そもそもそれ自体
視界にすら入ってこないなんてことも多々。
それで、YOUは何が伝えたいのよって?
そうですね。
自分の周りの「 環世界 」をもうちょっと
広げて物事を見てみませんか?
というお誘いです。
自分にとって意味の無いモノ・時間でも
あの人にとっては、彼らにとっては
彼女にとっては、あの集団にとっては
あの年代の人たちにとっては、
あの国にとっては、あの時代においては
意味のあることかもしれないな。
このように日々を捉えられるように
トレーニングするのも悪くないです。
そうすることによって相互不理解を避け、
不必要な対立構造を
作り出すことも少なくなる。
様々な価値観を認められず、想像することも
出来ないようでは本当に生きている世界が
狭くなってしまうし、変化も乏しい。
変化が乏しいと硬直化してしまう。
考え方も、身体も、発言も、発想も、感性も
硬直化した頭カッチカチの人間なんて
つまんないでしょ?
多様性を認め、混沌を愛する。
そこから生まれる愛もあるんだぜ!
僕たちの愛した第3ヤード、旧プレス機はもう無いんだぜ・・・