報われる
「努力したことや苦労したことに対して、
見合う成果が得られる」という意味。
「報われる」という言葉が使われる時は、
努力や苦労をしてきた過程があることが
前提となっている。
私はこの「報われる」というワードが
あまり好きではありません。
「報われるー。」
「あー、報われたわー。」
このように良い結果や成果を得られた時は
そんな言葉をこぼしながらも、
心地の良い疲労感と
満足感に包まれるものです。
ただ。
逆に望んだような成果が得られず
報われなかった時の落胆たるや、
もう外野としては見ていられないものです。
見ていられないだけで済むならまだしも、
大概の場合はその徒労感や喪失感。
果ては愚痴や不平不満まで聞かされ、
ついでになんの慰めにもならない共感や
同情まで強要されるような空気が流れる。
だから私はこの、
報われた・報われなかった精神が嫌いです。
報われなかったからなんなの?
報われなくて、それでどうするの?
どうしてほしいの?
報われるとか、報われなかったとかは
あくまで結果論でしかないのに
最早そのこと自体、「報われる」を
得ることが目的となってしまっている。
だから「報われなかった」時を
恐れなくてはならなくなり、
そんなビビったような姿勢で取り組めば
その精神が足枷となってしまう。
もういいじゃないですか!
報われようがどうしようが!
そもそも「報い」なんていうものも、
あなたやそなたの心が作り出した幻。
幻想でしかないんです。
そんなお前はどうなんだって、ですか?
私は「報われよう」なんて
全く求めていないので、平たく言うて
無敵です笑
「お前が無敵とか言ってる、それ自体がもう幻想なんだよ。」
「あ、はい。」