「 正当・妥当・当然 」
危険です。
危険な思想でございますよー。
過去の私が、否。
今だにかなり気を付けていないと、
度々これらの危険思想に支配されそうに
なることに戦慄を覚えます。
私たち一般的な人間は、自らに沸き起こった
「 怒り 」や「 悲しみ 」や「 憎しみ 」は
正当であり、妥当であり、当然で
決して間違ってなどいなくて、
反対に相手が表現してくる
「 怒り 」や「 悲しみ 」や「 憎しみ 」は
絶対に間違っている!
と思いがちです。
なんで怒ってるんだよ。
悲しんでる場合じゃない笑えよ。
許してやれよ、憎しみからは何も生まれない。。
確かにそうかもしれないけども、
そうじゃあない、という立場や感情もある。
あなたにはあなたの意見があるように、
相手には相手の意見がある。
そのようなことを何とか理解した上で、
結論としてはこう思います。
どっちも間違っていないし、
誰の感情も間違ってはいない。
よく、
「そんなの間違っている!」
なんてやり取りを、誰しもが人生において
二万九千六百三十三回くらいは
(漢字にすると分かり辛いですね笑)
見たり経験してきているとは思いますが、
まあなんでしょう
それぞれ誰しもが、
「自分は間違っているよなぁ」なんて
考えながら怒りやその他の負の感情を
露わにして他人と争うような場面を
起こしてはいないと思います。
では一体全体どうなっているのかを
分析してみると、
「自分は正しい!
私がこのように思うのも当然だ!
私の思いや感情は間違っていない!」
という、独りよがりで独善的な考え方や
そのように思う心そのものが争い・もめ事を
生んでいるのではないのでしょうか?
自分の正義と、誰かの正義は違う。
これなんかも
私とはちょっと意見が違うんだなぁ、と。
それくらいのゆるふわスタンスで
冒頭の危険思想から距離を取っていれば、
今日からあなたも安全思想家でございます。

先日遭遇したゆるふわ生物、モグラ。
わたしのような安全思想家の前には、このようにゆるふわ生物の赤ちゃんも安心して姿を現します。