「 何かの方程式ですか?」
そうではございません。
n=1 (えぬいこーるいち)とは
自分の主観や体験のみに基づいた
一般性に欠ける情報。
基本的には他人に振りかざすものではなく、
自戒を込めて
「 n=1で恐縮なんですけど… 」
のように使う。
まあ実際、私の周辺で
この言葉を直接使用されている場面に
遭遇したことは無いのですが。
でも一面においては
なかなかに奥深い言い回しだとも感じます。
あなたも日常の様々な場面において、
もしかして「 n=1 」で判断をして
しまっている事って結構ありませんか?
私がとりわけ多く感じる場面は、
人に対する印象や判断、好き嫌いなど。
とにかく一つの側面だけを見て
物事やその人の全てを判断・理解したとして
決めつけてしまうことの危険さと愚かさ。
かく言う私自身も、
どんなに気を付けていても往々にして
このようなミスを起こしそうになります。
否、起こしていますね。。
当たり前かもしれませんが書きます。
物事、できごと、人間、その他
あらゆる事象は
・一部分が悪いと全部が悪く感じる
一部分が良いと全部が良く感じる
( んなわけあるかい )
・その全てが悪いなんてことは無く
その全てが良いなんてことも無い
(そらそうや)
・先入観で判断をしない
これとあれは良くないもしれないが
こことあそこはNICEだね!
(そうそう、そういうこっちゃ)
十把一絡げにして判断をしてしまうのは、
あなたや私が思考を省いているため。
「 いちいち個別に判断するの、
考えるのはめんどくせー( ゚Д゚) 」と
なっているから。
思考停止
しているから。
そうじゃなくって、面倒かもしれませんが
個別案件で冷静に判断しましょうよって話。
物事や人には色々な側面があるから
好きか嫌いかで分けない、判断しない。
それはあまりにも短絡的で
「 n=1 」的な判断。
だって嫌でしょ?
自分もある一面だけでこうだと
決めつけられたり、わけの分からない
レッテルを貼られたりするのは。
様々な情報を集め、n=1 で判断せず
物事を多角的に見られるような人間が
周りから少しでも増えていけば
気持ちの良い人生になるだろうなあ。
どんだけ頑張ってみたところで 好きにはなれない人がいて
けどその人もきっとどっかの誰かにとってはかけがえのない人で
本当の形は目に見えるものと チガッタリシテルンダロウ